
『大月みやこの日本民謡ラテン・フィーリング』アナログ盤 再発記念インタヴュー(前編)
▪️1973年にリリースされた『大月みやこの日本民謡ラテン・フィーリング』。
歌謡曲・演歌の王道を歩んできた大月みやこが、キャリア初期に挑んだ意欲作であり、名うてのミュージシャンたちとともに築き上げた“新しい民謡グルーヴ”の傑作である。
このたび、半世紀の時を経て待望のレコード再発が実現。それを記念して、なんと大月みやこさんご本人に当時の制作現場について語っていただいた。制作当時の空気感、ミュージシャンたちとのやり取り、そして自身の歌手観まで。貴重な証言とともに、いま再びこの作品の魅力をじっくり味わっていただきたい。(MAGICTOUCH)
自分の中では、まだまだ新人。とにかく歌うことに一生懸命。
-今回は貴重なお時間を頂きましてありがとうございます。 それでは早速、質問に入らせて頂きます。まず初めに本作について大月さんが持っている印象をお聞かせください。
50年ほど前のレコーディングになりますが、この時のことは今でもとてもよく覚えています。なぜならば、とても難しかったからです。歌手としてスタートして 7年~8年ぐらいの時だったでしょうか。
自分の中では、まだまだ新人。とにかく歌うことに一生懸命。ましてやジャンルが違いましたから。私は歌謡曲でスタートしましたので民謡のリクエストをお請けし、歌えるかどうか心配でした。
-演奏者も超一流のメンバーが揃っていましたね。
ジャケットに写っていらっしゃる瀬上さんが、ラテン界の超一流の方ということは私も存じ上げていて、その瀬上さんが何故か「みやこちゃん、みやこちゃん」と声をかけてくださって。私が民謡ではなく、歌謡曲を歌っていることは瀬上さん含めスタジオミュージシャンの皆さんもよくご存じで、それでも声をかけてくれたと思うんです。それまでラテンはやったことないですが瀬上さんから大月みやこのその歌い方でいいと、とにかく大月しかやれないって言われたんです。それが嬉しかったんですが、いざレコーディングが始まると大変でした(笑)
-レコーディングではご苦労されたんですね。意外です(笑)
自分は譜面から入るタイプなのですが譜面には4小節とか10小節とか、数字しか書いてなくて、メロディーがないんです。だから、何をガイドにして音をとって歌っていいかが分からず、非常に難しかったです。
-確かにメロディーよりも打楽器が前に出ている印象でした。
いわゆる同録(全員で同時に録音)だったのでメンバー全員と一緒にスタジオ入りました。事前にカラオケを録音して、後でそれを聴きながらレコーディング(歌録り)することもできたのですが、私にはその作業もまた大変でした。結果としては同録の方が良くて、なんとか頑張ってやれたんですね。
そしたら、嬉しいことに皆さん褒めてくれました(笑)
一同 : おー
民謡歌手ではなく、大月みやこが良いというのが嬉しかったんですね。
-これまでに民謡のレコードは出されてたのでしょうか?
いいえ、民謡を歌うのは初めてでした。今日までの間に民謡を長く歌っておりますけど、でも本作では歌謡曲の大月として歌ってくださいということで、民謡の歌手ではなく、大月みやこが良いというのがとても嬉しかったんですね。ですから、このアルバムをお聴きになった民謡ファンの方からは「これは違う」と思われるかもしれませんが、一緒に制作した方々からは「この空気感がいい」って言われたんですね。
-なるほど、その新感覚が良かったのかもしれませんね。
完成した音源を聴かせていただき、「きちんと出来上がってる」とビックリしました。すごくすごく気持ち良かったのを憶えています。
-何回か録り直しはあったのでしょうか?
同録でしたし録り直しもほぼなかったですよ。
-ラテンというジャンルは当時としては比較的新しかったですよね。
そうですね。私の歌謡曲のシングルにもラテンのリズムを取り入れた曲もありましたし、歌謡曲にラテンのアレンジが入ってきた時代でした。ラテンの空気が好まれていたのかもしれませんね。
-今回、根強い民謡ファンが多かったことから、今回の再発をさせて頂くことになったのですが、その事についてはどう感じられていますでしょうか。
民謡ファンの方にとっては実際どうなのかな〜という心配はずっとありました。
-そうですよね。先ほどおっしゃってましたね。
民謡にはイントロがあったり、定められた展開があるんですね。この作品は全く違うんです。ですから、民謡歌手の方がお聞きになったら、ちょっと批判されるかな?怒られるかな?っていうのは当時少し感じていたと思います。
聴いてくださった方からはすっごい良い!って言われてました。
-当時このアルバムを聴いたファンの方や関係者の方からのリアクションはどの様なものだったのでしょうか?
実はこの作品を聴いてもらえるチャンスが中々なかったんですよ。自分のオリジナルではなく、民謡ですからね。でも聴いてくださった方からはすっごい良い!って言われてました。
一同 : (笑)
-意外性を感じるので、とてもわかる気がします。ちなみに今回は私どものオファーで実現したレコード再発化でしたがご自身だったり、レーベルから再発化のお話は今までに何度か出ていたのでしょうか?
私自身ずーっと思っていました。やはりこの時の印象があまりに強くて…。今でもバック(演奏)をこのような形式で歌えたらいいねって言っているくらいです。
-それは是非聴いてみたいです。
でも、同じように出来ないと思いました。私は今でも歌えますが、やっぱりあのバックの演奏、あの空気が出せない。余談になりますが、新宿コマ劇場で 1ヶ月公演をやらせてもらっていた時期があったんですね。その際このラテン民謡のアルバムがすごい印象に残っていたので、民謡をこの時のようなアレンジで、ショーの中でやりたいって言ったことがあったんです。
アレンジャーの丸山雅仁※先生にお話したら「あの感じでは歌えないよ」って、「生の舞台では難しい」っておっしゃったんですね。このアルバムのプレイヤーさんもいらっしゃらないわけですからね。ただ、民謡をやりたかったので、丸山先生にお願いしてラテン民謡に近いアレンジをしてもらって。お芝居と歌のショーがあるステージ(座長公演)でしたが、ショー中に民謡のコーナーも作っていただきました。
「あなたのファン第 1号にしてちょうだい」
-それだけ印象深い作品だったのですね。民謡歌手で影響を受けた方はいらっしゃるのでしょうか?
それが…実は民謡の歌手の方にお会いする機会があまりなくてですね。ただ、斉藤京子※さんという民謡歌手の方がいらっしゃって、2022年に亡くなられたんですが、キングレコードに入社してすぐに私のファンだと言ってくださった方で、、
デビューして間もない頃、漫才師の内海桂子・好江さんの好江さんにお会いする機会があり、その際に「あなたのファン第 1号にしてちょうだい」って言われたことがありましてね。その時に好江さんのお友達として民謡歌手の斉藤京子さんも一緒にいらしてたんです。斉藤京子さんも大ファンって言ってくださって、歌を教わったわけじゃないんですけれど、その斉藤京子さんから「あなたの歌声が大好き」って言われてとても嬉しかったです。
-斉藤京子さんから影響を受けた部分もありますか。
はい、とても良い声で民謡を歌っていらっしゃいました。
嬉しそうに教えてくれるんです。とっても素敵な人でした。
-素晴らしいエピソードをありがとうございました。ちなみに、この素敵なジャケットに関してですが、どの様なテーマで作られたものかお分かりでしょうか?
全然わかりませんけれども、その時の大月みやこでいいって言われたんです。
-風景を見る限りスタジオ録音後に撮ったものでしょうか?
確か別の日だったと思います。録音作業が全て終わって、何日か後に一緒に撮ろうかっていう気軽な感じでしたね。
-ラフな感じで撮ろうといった感じだったのですね。フロントで瀬上さんがパーカッションを叩いていて、後ろに大月さんがいらっしゃるというこの構図が素晴らしいというか。珍しい構図だと思うんです。瀬上さんはどんな方でしたか?
そうですね。瀬上さんはとてもラテンが大好きな方でした。アフリカへ行ったりしててね。動物の骨とかをスタジオに持って来るんです。それをその場で叩いて音出したりしていました。これは何ですか?って聞くとカンと叩いて、何とかの骨だとか嬉しそうに教えてくれるんです。とっても素敵な人でした。
後編へ続く
レコードの購入は下記より
FWRF-016 大月みやこ Selected by MAGICTOUCH / 日本民謡 ラテン フィーリング (1LP W/OBI)
※丸山雅仁:編曲家(1943年~2020年)2014年日本レコード大賞・編曲賞受賞。船村徹門下として活動を開始、北島三郎「風雪ながれ旅」鳥羽一郎「兄弟船」などヒット曲多数。大月みやこの代表曲「女の港」「女の駅」「豊予海峡」など優雅で印象的な編曲に加え、劇場公演のステージ編曲も手掛けた。
※斉藤京子:民謡歌手(1936年~2022年)1953年デビュー、1956年キングレコード移籍後、三橋美智也とのデュエット「お花ちゃん」が大ヒット。1990年文化庁芸術祭賞受賞。